サボリーマンがいい感じに見えるように、全力でプレゼンしてみた

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今回はサボリーマンを全力でプレゼンしたいと思う。

当ブログは以前からサボリーマンを支持してきた。なぜ支持するのかというと立場の弱い労働者を代表する静かなる革命家だから。

賢いサボリーマンが得する時代到来!あなたはもう、無能ではない
残業してるヤツが偉い 一生懸命がむしゃらに働いてるヤツが偉い 朝から晩まで働いているヤツが偉い そんな「考え方...

前回の記事では、サボリーマンを正当化したので、今回は正当化を通り越して、もはや「先駆者としてリスペクトしちゃおう」という強引な内容で進めていきたい。

当ブログでは、口酸っぱく何度も書いているので詳細は省くが、私が正当化しているサボリーマンはあくまでも「考えるサボリーマン」であって、ただ単に「サボりたいだけのサラリーマン」とは違うことを前提としてほしい。

では、全力プレゼンスタート!

サボリーマンが見据える未来

はじめに

さて「サボリーマン」という言葉。あなたはどんなイメージをお持ちだろうか。

正直なところ少し間抜けっぽいし、あまり良い印象はないと思う。しかし、実態は違う。いい印象がないのは真の姿を理解していない人の固定観念に過ぎない。

世の中には自らの労働を調整し無理無駄を省き、しっかりと結果を出す「考えるサボリーマン」が存在する。当ブログでは最大限の尊敬を込めて彼らを「ネオサボリーマン」と呼んでいる。

パッと見、ただのお間抜けサボリーマンも、そういう風に演じているだけで、実は「生活と給料のバランス」を調整している策士。それがネオサボリーマンの実態である。

そもそもサボる行為は戦略がないとすぐバレてしまう。バレないようにあれやこれやと手をつくして予防線を張るのは、無能人間には難しい芸当だけど、我らがネオサボリーマンにはお安い御用。

「でもさー、なんだかんだ御託並べてるだけで、結局ただサボってるだけじゃん!」って思っているあなた!

サボリーマンをナメてはいけない。彼らこそ労働者階級の救世主になる可能性を秘めた、いわば革命家なのだ。

なぜ彼らが革命家なのか。証明しよう。

革命は革命でも無血革命

一般的に平和的な手段で行なわれる革命を無血革命という。サボリーマンこそ、無血革命家である。誰もキズつけず体力の温存を図り、明日の仕事へ備える。これぞ合理化の極み。

就業時間や環境に左右されず、自分で自分の時間を管理する。当然ながら残業などありえない。

部下の勤怠管理も上司の大事な仕事である。つまり、残業しないサボリーマンのお陰で上司の悩み事が1つ減るのだ。

さらに我らがネオサボリーマンは、体力と精神力の疲弊をサボることによって必要最小限に食い止め、仕事において量より質を追い求め、無駄に残業する不届き者に無言でNOを訴えている。

これぞ、無血革命。

この辺の話をバカ正直に問題提起したところで、敵が増えるだけで解決に向かうことはない。だから直接言う必要はないし、あなたが解決する必要もない。

なぜなら、大事なことは他人の残業を非難することでも、会社を改善することでもない。

自分自身の時給を上げることのみが重要なのだ。※ここではあえて給料ではなく時給としている。なぜ給料ではないのか?は過去記事参照↓

時給ではなく価値給を目指す。会社に利用されないサボリーマンはある意味勝ち組?
あなたの会社にもいませんか? 夜遅くまで残業している、がんばりやさん・・・ 仕事がデキて真面目なタイプが多い。そんな残業マニアに...

 まとめ

幸運にもネオサボリーマンになれたら、そのまま頑張って会社で出世を目指すのも良し、空いた時間を副業に生かすも良し、転職活動にいそしむのも良し、可能性は大いに広がる。

会社では、どんなに売上を上げても、過去最高の利益を叩きだしても、残念ながらダイレクトに給料に反映されるわけではない。

サラリーマンである以上、給料がガンガン上がることは極めて稀だし、上限もある程度決まっている。だから、会社の業務に何の疑問も持たずに依存していてはダメ。

少し距離をおいて冷静かつ客観的に自分の人生を見つめ直すことはとても重要なことである。

無能な私たちは常に忙しい。サボらないと人生について考える時間が作れないのだ。

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