会議で忙しい人々の大半は本質を見ていない

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さて、今回は「動きすぎて損する人々」について論じていきたい。

以前も「動きすぎると、ろくなことないですよ」という記事を書いた。

ウォーレン・バフェットから無能人間が学べることをまとめてみた。
今回は投資界のマイケル・ジャクソンである「ウォーレン・バフェット」について論じていきたい。 バフェットは資本主義の申し子 正直な...

この前の会議で、またガチャガチャと動き過ぎる人々が散見されたので記事にしたいと思う。その会議では本当の問題点に目を向けずに、本質からズレた小手先の議論に数時間費やすという無駄なものだった。

「本質からズレた会議」の分かりやすい例

A子さんはあなたの「性格」が大キライなのに、あなたは「ファッション」を極めて「かっこいい車」に乗ればA子さんが振り向いてくれると信じている。
そして、
「ファッション」と「車」について「あれにしよう」「これならモテる」などなど、友達と深夜のファミレスで議論してる。そんな議論をやったところでA子さんが振り向くことはないのに、無駄な努力を盲目的に信じている。
中には「本質は違うぜ」って分かってるヤツもいるけど面白半分で付き合ったり、面倒くさいから言わなかったり。

これが会社の会議になると、もっとタチが悪くて、上司が間違った方向性の議論で悦に入った場合は完全にお手上げ。

意見すれば当然潰されるし、後々面倒なことになりそうだし。

こうなると私たち下っ端はだんまり。もう勝手にやってくれ状態。いまや無駄な会議は会社の必要悪になっている。

あえて言おう。大半の会議はクソだと

所詮は出来レース。会議という名の報告会だったり、結果ありきの議論だったり、数字の読み上げだったり、単なる相談会だったり、吊し上げだったり・・・

でも、本人たちは仕事やってる感が半端ない。

実は1円も産み出してないのに、悦に入る感が半端ない。

「毎日毎日、会議だらけで忙しくて・・・」と言いながらどこか満足気な人々が大勢いる。こういう人々は「もしかしたら自分の労働は無意味ではないか?」と疑問に思わないのだろうか。

恐らく考え方として2つある。

「おれもずいぶん偉くなったなぁ」「完全にホワイトカラーだなぁ」と、現状に何の疑問も抱かずに満足している、おめでたいパターン。

そして、もう1つは本質とのズレを承知で、波風立てたくないから受け入れるパターン。中には私のように「あきらめてだんまり」パターンも一定数いるだろう。

たくさん会議やったところでぶっちゃけ意味はない。なぜなら結論は1つだから。会議の回数と目的達成率は比例しないのだ。

意味ある会議にする方法

私が提案したいのは、会議をやる前にこの話し合いは「何なのか」を共有すること。すごく簡単なことだけど、意外にこれができてない。

会議カテワケ理論
  • この会議の目的はこうです
  • このプレゼンの目的はこうです

まず最初に参加者全員に共有する。

さらに、下記5つのどれに該当するのか宣言する。

  1. 議論したいのか
  2. 結果を導きたいのか
  3. 伝達したいのか
  4. 共有したいのか
  5. 命令なのか

そして、時間配分を共有してアジェンダ通り進める。もし解決できなければ、最後に解決できてない案件を確認。誰が、何を、いつまでにやるか決める。

もちろん、議事録は取る。やりとりの詳細を記録する必要はない。メモレベルでも要約でも全然問題ない。

熱量のイメージは戦国時代。ビジネスは戦場と言われる。戦国時代は「命のやり取り」が発生する状況化で物事を決めていた。さぞ、脳みそフル回転で緊張感のある「食うか食われるか」の会議だったことだろう。

戦国時代の会議は、主に評定と言われる重要事項を決める会議と、軍議といわれる戦(いくさ)の戦略(TODOリスト作成)を決める会議、さらに指示命令が目的の伝達会議に分かれていた。

ちなみに、ダラダラやっても仕方ないので2時間が限界。それ以上かかるなら次回を設けるべきだ。

まとめ

もし、会議の進行を任されたら「会議カテワケ理論」をぜひ参考にしてほしい。

きっといい仕切りができるはず。

また、会議だけに限らずファミレス雑談や飲み会でも、何かを決めるときはカテ分けを意識すると話の論点がズレないし、しきり役としてのあなたの価値も上がる。

これを習慣化していけば、知らず知らず総合的な理解力が上がっていく。

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