【只今炎上中】日本の貧困は絶対に自分のせい!ってホントかよ!?
今日は貧困について。
貧困の問題はデリケートかつ複雑。貧困女子、貧困中年、子どもの貧困、貧困ビジネスなどなど、貧困に関連するワードも最近よく見かけるようになった。
日本の貧困について語る時、特に注意しなきゃいけないことは貧乏との違い。
ここを一緒にしちゃうと議論が成立しない。
貧困と貧乏の定義付け
貧困とは、必要最低限の生活もままならない状況のこと。
貧乏とは、贅沢はできないが困窮してるわけではなく、お金がないなりに何とか生活している状況のこと。
さらに付け加えると「自力で改善不可能な状況」が貧困であり「自力脱出が不可能ではない状況」が貧乏と言える。
貧困は自分のせい?
以上を踏まえて下記のTweetを見てみよう。このTweetは落語家の桂春蝶(43)が2月20日に投稿したもの。
世界中が憧れるこの日本で「貧困問題」などを曰う方々は余程強欲か、世の中にウケたいだけ。
この国では、どうしたって生きていける。働けないなら生活保護もある。
我が貧困を政府のせいにしてる暇があるなら、どうかまともな一歩を踏み出して欲しい。この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ。— 桂 春蝶 (@shunchoukatsura) 2018年2月20日
この内容は貧乏と貧困の定義を理解している人なら一発で「それは違うぜ」といえるもの。だけど、批判する人も定義付けが曖昧なら話は噛み合わず感情論になるのは目に見えている。
炎上して批判されたので、桂春蝶さんはさらに下記のTweetを投稿した。
僕は20歳から10年間、家賃2万円台のアパートで住んだ。それでも金がなくて、家賃を滞納したりした。当時は仕事が本当になかったから。
ほとんど毎日がチキンラーメンかコーンフレークやった。
それでも生きれた。
芸人風情でも何とかやっていける日本は素晴らしい。
これ以上この国に何を望みますか?— 桂 春蝶 (@shunchoukatsura) 2018年2月21日
とまあ、想定通りの展開に。これは貧困の話ではない。下積み時代の貧乏話だ。
完全に貧困=貧乏になっている。
この後にフジテレビのバイキングにも出演してこの話題で盛り上がってたけど、双方の定義付けが曖昧のまんま議論してるから全く噛み合ってないんだよね。
ちなみに私だって学生時代はお金がなくて、近所のスーパーの試食を食べて飢えをしのいだこともあった。昼はバターロールとカップ麺で腹を満たして、夜はマーガリンで「もやし」を炒めてむさぼり食ってた時期もあった。
私はそれを貧困とは思ってないし、もっと言えば貧乏とも思ってなかった。なぜかと言えば一緒に住んでないけど実家に両親がいたし、バイトもしてたし友だちもいたから何とかなる状況ではあったから。
だから、貧乏に関してはある程度「自分のせい」というのも納得できる。しかし、貧困は「自分のせい」なんかじゃない。
なぜなら自力復活できないから。
貧困においては、第三者の協力がないと好転することはない。
まとめ
貧困から抜け出すには、精神面と環境面の改善はもちろん、知人、友人、コニュニティに参加する等の「人との繋がり」が必要になる。
貧困になる人は、なんだかの理由で家族や親戚との繋がりが遮断されているケースが多い。
物質的な不足はもちろんだけど、誰からも救われないから貧困になるわけで、そういう根本の部分からフォローしていかないと経済的な自立は期待できない。
人生逆転をテーマにBlogを書いている私でさえ、人生逆転できるのは貧乏までだと思っている。

ちなみに私が以前書いた記事は「貧困 貧乏」というキーワードで検索順位第1位。貧困と貧乏の違いを調べようと思った人は、まず私の記事を読むことになる。だから今回の炎上は見て見ぬふりできなかった。
貧困は断じて「自分のせい」ではない
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