仕事とは、努力しても報われない「悲劇という名の喜劇」である
- 残業してるヤツが偉い
- 一生懸命がむしゃらに働いてるヤツが偉い
- 朝から晩まで働いているヤツが偉い
そんな「考え方」が今も根強く残っている。そう信じて働いてきた私たちおっさん世代はもちろんだけど、さらに上の世代はこの思想がより強い。
で、もっとタチが悪いのは、若者でもこの思想を持っている人が意外に多いこと。
この悪しき思想がなくならない要因はいろいろあるけど、日本の学校教育や部活動の影響が大きいと思われる。

「努力は必ず報われる」という妄想
現実の世界は努力しても成功しない人の方が圧倒的に多い。残念ながらそれが資本主義の本質である。
資産家の子供は努力しなくても金がある。パリス・ヒルトンは額に汗して働かないし、よっぽど下手こかない限りずっと大金持ちのままだ。
このような現実、いや真実を知らないのか認めたくないのか、それとも自分には関係ないと思っているのか。労使ともに都合のいい安易な妥協点に収まっている。
会社勤めが長いと、この辺の感覚が麻痺するのは仕方ないかもしれない。毎日のように顔を合わせる人が、メチャクチャがんばっていたら応援したくなるのが人情。
しかしながら、その厚い人情の弊害として「あいつは一生懸命やっている」「あいつは一生懸命やってない」など、主観を主体とした意味不明な評価が絶えないのもまた事実である。
- 一生懸命やっている人は、もしかしたら効率が悪いだけじゃないのか
- 夜遅くまで頑張っているのは、残業代を稼ぎたいからじゃないのか
こういう角度で物事を考える人は少ない。ある意味メチャクチャ不公平である。
なので、性格的に一生懸命さが伝わりにくい人に対しては、「あいつは涼しい顔して定時で上がって一生懸命には見えないけど、無理無駄を省いて効率化を実現してるから生産性が高いなぁ」と考える柔軟性を持つべきだと思うのだ。
なぜなら、本来の評価ポイントは感情論でも人間性の良し悪しでもなく、結果のみが評価対象になるべきだから。
でも、現実は違う!
上司の主観が評価に直結する場合が多い。しかも、ただの好き嫌いだったりするから、最強にタチが悪いし、ある意味恐ろしい話なのだ。
以上のように、日本企業はグローバル化が進んだとはいえ、名ばかりの成果主義がはびこっている。
サボリーマンという選択肢
誤解しないでほしいのだが、ただサボるのではない。
会社の無駄な「ルール・付き合い・慣習・勤務時間」などに捉われない意志を持った考えるサボリーマンになってもらいたい。

例えば「部長になると責任と業務量が圧倒的に増えるけど給料はあんまり増えないから、課長のままでいいと判断して恣意的に出世しないように行動する」とか「今日やるべき仕事が終わったらさっさと帰るぞ」とか、とにかく無駄に働かないように調整するのだ。
おそらくこの調整ができるようになれば、もう無能じゃないかもしれない。
本人が望めば今の会社で出世も目指せるし、転職したらもっと稼げるかもしれない。がんばれば起業だって夢じゃないかもしれない。
私の経験則だが足し算できる人は多いけど引き算できる人は意外と少ない。
- 足し算ばかりしている人とは「自己主張ばかりする人」「無意味な仕事をどんどん生み出して仕事やってる感に満足している人」で、本人が気付いた頃には、無意味に忙しくて身動きとれなくなっている人のこと。
- 引き算もできる人とは「無駄な自己主張をしない人」「今ある業務から無駄を省くことを常に考えている人」で、物事をシンプルに考えて、柔軟な発想を持った人のこと。
まとめ
クソ真面目に働いても給料は上がらない。
会社にとって都合のいい人にならないよう意識したいところだ。人生逆転を目指す私たちがやるべきことは、
どんな状況であっても、これだけは忘れないでほしい。
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