お金さえあれば自由になれるのだろうか?
さて、今回は少し抽象的な話をしようと思う。
よく自由になりたいという人がいるけど、自由ほど恐ろしいものはないのではないか。

そもそも自由って、何だ?
自由の定義は人それぞれでどんな状態を自由と呼ぶのか、実は曖昧である。思うに究極の自由とは「無人島にポンと置かれる」状況である。
本当の自由は命がけ
誰にも指図されないし、どこにも属していないので守るべきルールはない。もしあるとすれば、自然界の究極のルール「弱肉強食」くらいだろう。
誤解を恐れずに言えば、自由への渇望など世間知らずのお坊ちゃんの戯言に過ぎない。そもそも人類は自由を嫌い、自然から離れて村を作った。そして村でルールを決めて皆で助け合う社会を作った。そうやって自由から離れて生物界の頂点に君臨している。
そう、今さら自由がほしいとかどの口が言うんだよって話だ。
つまり、衣食住満足に暮らしている人が「自由がほしい」と言っても、経済的な自由がほしいだけで、本質的な自由を求めている人などいないのである。
つまり、金がほしいだけ。
シンプルに表現するとそういうこと。
もちろん例外はある。例えば親の借金を背負わされたり、理不尽な束縛があったりした場合は自由を求めるだろう。
しかし、そういう不遇な環境でもないのにやたら自由を目指す人はなんか胡散臭い。こういう人は自由がほしいとか軽々しく言わない方がいい。不自由だと嘆く人の大半は現状で十分自由なはず。
ちなみに私は自由などいらない。ただし、金がほしい。だから一生懸命働くし、無能でも必死に頑張るのだ。しかし、悲しいことに無能だと誰かの力を借りないと稼げない。だから会社というカオスな組織体を利用する。
不自由だと嘆いた時は、その人なりの自由を手に入れている。逆に自由だと喜んだ時は、皮肉なことに不自由になっているという矛盾が生じる。
人生逆転を目指す私たちは「不自由という名の自由を謳歌する人」になってもらいたい。
私たちには「不自由と叫ぶ」自由がある。そもそも自由でなければ「不自由だ!」と叫べないのだ。
まとめ
自由になりたいから起業したいとか、デイトレーダーになるとか、安易に思わないでほしい。
もちろん、成功する場合もある。しかし、確率は数パーセントもないだろう。
無計画に自由を追求することは、真夜中の大海原に羅針盤なしで航海するようなもの。

私たち無能人間が人生逆転できるかどうかは「周りの力をいかに上手く利用するか」にかかっている。
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